2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始した という大変ショッキングなニュースが報道されました。
その後、クリミアとチェルノービリの占領。キーウ、 マリウポリへの軍事侵攻がなされ、現在も戦火は終わ らない、毎日目を覆うようなニュースが報道され続け られております。 この記事をみなさんが目にするまでにどのような戦況 になっているのか、予想も付かないほどのことです。 避難民は、4月下旬現在までに516万人余り、日本へも非難されて来ておられる方がいらっしゃいます。文化財の被害は242カ所にも及ぶと報道されております。
当山がテレビの報道を見ていて、一番ショッキングであったのは、戦況が始まってすぐの時に、一人の家族が撮されて、小さな子供が「おとうさん!離れたくないよ!」と軍人のお父さんと泣き叫んで、涙の別れをしていた瞬間。なんで、こんな事が世界で起こってしまうのだろう。と、感涙深いものがありました。
そのような中、宗教者として何とか、何か出来ないかと日々模索した中、ニュースを見て目を塞いでるばかりではダメだ!!
考えた結果、当山では慰霊法要という形で法要を行うことに致しました。ウクライナで亡くなられた霊魂に対して、法華経・お題目を参拝者全員で捧げると共に、ウクライナ国民の安全と一日も早い停戦を重点に置き、祈願致します。
この法要では、「ウクライナ戦没者慰霊追善供養」の塔婆を募りお供えして頂きその塔婆代を赤十字などの団体を通じて、ウクライナへ全額義援金として寄付をしようと考えております。
当日は、日本語の後に、英語で声明、勧請、回向も行い、戦禍でお亡くなりになった英霊にもご理解頂けるようにこの時だけの特別な法要をお勤め致します。ウクライナから避難されて来られた方も、いらっしゃれば参列して頂こうとも考えております。
戦争で亡くなられた方々の鎮魂、今現在戦況下で苦しんでいらっしゃる方々の平和、健康祈願。そして、非難された方が一刻も早く帰国できるように参列した全員で祈りを捧げたいと考えております。
沢山の参列者をお待ちしております。参列の皆様で平和の祈りを捧げましょう。
開催日時 令和4年5月29日(日)午後1時奉修
場所:瑞光寺 本堂
境内
『瑞光寺』を散策してみてください。気軽に訪れられる素敵な場所です。
元政庵瑞光寺
瑞光寺は開祖元政上人開祖のゆえに『元政庵 瑞光寺』といい、別称、上人が竹を好まれたところか ら『竹葉庵』とも称します。
明暦元年(1655)、幽趣を愛でた元政上人は、洛南深草の竹の里、旧極楽寺に草庵を結び、庵の名を章安大師の故事にちなんで、称心庵と名付けられました。
これが瑞光寺の始まりです。
門前には、日蓮宗には珍しい『不許酒肉五辛入門』の碑があり、ここで元政上人は、学問と詩歌三昧、そして父母の孝養につとめ、清らかな僧堂生活を送りました。
『夕ざれば野辺の秋風身にしみて鶉なくなり深草の里(藤原俊成)』
本堂(寂音堂)
寛文元年(1661年)39歳のとき、称心庵仏殿を見た元政上人は、庵を『深草山瑞光寺』と改めました。
丸みを帯びた総茅葺屋根は、我々に親しみやすい暖かさを感じさせます。
また当寺の中心建造物で、堂内の中央に は体内に五臓六腑を添えた釈迦如来の座像があり、これは中正院日護上人の作です。
又、奥段には元政上人を始め御両親、歴代上人を祀る、根本の御堂です。
元政上人の御廟(三本竹の墓)縁結び・縁切り祈願
一本は、法華経広宣流布のため
一本は、衆生救済のため
一本は、両親のため
という意味が込められています。
水戸光圀公は『鷲の山わけて得がたき道ぞとは、ふみみていまぞ思いしらるる』と墓標され、『嗚呼孝子元政之墓』を贈られました。
明月や竹三竿の墓の主 (虚子)
縁結び・縁切り祈願
元政上人の御廟(お墓)で、お百度まいりをすると縁結び・縁切れが叶います。元政上人は、彦根藩の武士出身の上人で、武士より縁を断ち強い縁を持って仏さまと縁を結ばれた事から、元政上人の功徳を授かる事が出来ます。
縁結びは、時計廻りにお願いすると叶います。また、逆方向に廻りますと縁切りが叶います。
何れも年齢の数を回り、御利益があり、出来れば、3週間×7日=21日間、お参りしなければなりません。お寺の観音堂にて特別祈願も致します。
元政上人御忌法華懺法会と遺宝展
毎年3月18日元政上人忌に因んで古くから伝承されている法華懺法会の奉行と元政上人の遺宝展を公開しております。
身延山に於ける 元政上人埋髪の塚
いたづらに身をばやぶらで法のため
わが黒髪を捨てしさうれしさ (元政)
母堂七十九才の母のかねての望みにより万治二年(1659年)の8月13日に深草を出で身延に父の遺骨を奉じて登詣され、わが黒髪を切って身延山奥の院の山頂にこれを埋めて、日蓮大聖人の孝養の一端に奉じました。
深草の観音さま
元禄4年9月1日井伊直孝公女掃雲院殿了心日意大姉追善のために建立寄進されました。
秘仏厄除け観音は如意輪観音大菩薩のことで、当山の祈祷の本尊です。爾来魔除け、病難退散、諸願満足、怨敵退散の守護仏として親しまれてきました。
願い事達成の時は 夢枕にその御姿を見せられるので枕頭出現の夢想の観音ともいいます。
御祈願は三七日、二十一日間の願かけをなし、一日、十五日、十八日は毎月必ず御祈願参りをせねばその達成は得られないといわれています。
三十番神社
法華守護の三十番神と大黒天の三十一体を祭祀し安泰と寺門の繁栄を祈っています。
三十番神は天照大神、八幡大菩薩をはじめ伏見稲荷、松尾大明神、北野天満自在天祗園大神等の全国の総氏神を一堂に祀った一ヶ月三十一柱の国土神です。
元は 旧極楽寺薬師堂に番神山として現存していたものです。
「金運」白龍銭洗弁財天さまの御利益
ここにお祀りしてある白龍銭洗弁財天さまは財運・金銭運・福・禄・寿の幸運を授けて下さる霊験あらたかな不思議な開運の神様です。
一心にお祈りをしてザルの中へ銭 『おかね』を入れ龍神様のご神体の中より流れ出るお水で洗い、浄財袋に入れて大事にお持ち下さい。財運・金銭運の幸運が授かります。
ご縁日の『たつの日』『みの日』に必ずお参りして浄財袋の『おかね』を新しい『おかね』と入れ替えて下さい。
「桜」
当山の桜は、3月下旬から、身延山から株分けをして頂いたしだれ桜から咲き始めて、ソメイヨシノの桜も4月に入れば咲き始めます。
3月4月になれば、とっても見頃の桜が咲きますよ!
令和3年度年中行事
*毎月十八日講は、基本的に第三日曜日です。
新年祈祷会
1月17日(日)
星祭り祈願会
2月21日(日)
3月18日(木) 元政忌法華懺法会
花まつり
4月18日(日) 花まつり
日蓮聖人法難会
5月16日(日)
写経納経会
6 月20日(日)
諸天善神祭
7月18日(日)
うら盆施餓鬼会
8月16日(水)
秋の彼岸会
9月19日(日)
日蓮聖人御会式
10月17日(日)
倶生霊神祭
11月21日(日)
観音さま火焚祭
12月19日(日)
瑞光寺の開祖 元政上人
げんせいしょうにん(1623-68)
元政上人は、江戸時代初期の日蓮宗を代表する高僧といわれ、京都深草に住したところから、深草(草山)の元政、艸(草)山和尚とよばれています。
日蓮宗の宗学者、教育者として大きな功績を遺していますが、当代一流の詩人・文人としても著名です。
この草山で自ら信行に励むと共に、著作詩文を多くものにし、著名な文人墨客と交遊し、宗内外の碩学と道交を結びました。
三六歳の時父を送り、翌年母と共に父の遺骨を奉じて身延に詣で池上を訪れました。この旅行記が『身延道の記』で元和上皇から嘉賞せられた名文の書です。
寛文元年(1661)称心庵の仏堂が完成し、中正日護作の釈尊像を安置して瑞光寺と改めました。
生い立ち
元和九年二月、元毛利輝元の家臣石井元好の五男として生れ、幼名を源八郎といいいます。
長兄元秀は彦根の城主井伊直孝に仕え、長姉春光院は直孝の側室でした。元政は一三歳でこの井伊直孝に仕え近侍をつとめます。
生来読書を好み、文を習い、和漢の学に天稟の才を発揮して、その聡明さを衆人から称えられています。
十九歳で主君に従い江戸に出たが病を得て京に帰り、母と共に泉洲和気の妙泉寺に詣で、祖師の像を拝して三願を立てました。
■出家せん。
■父母に孝養をつくさん。
■天台三大部を読了せん。
この年、泉涌寺の如周律師の法華経講義を聴聞し、出家の決意を固めました。その後数年井伊家に仕えましたが、二六歳の時致仕して、妙顕寺一四世僧那日豊の門に投じて髪を剃ったそうです。
明歴元年(1655)三三歳の時、師日豊が池上本門寺に晋山し、これを機に洛南深草に称心庵を結んで隠棲しました。
しかし元政を慕って集う求道者は続き、深草に唱題読経の声があふれたそうです。
そこで元政上人は門下の子弟のために『草山要路』一巻を著して、行学の指針、出世の要旨を述べ、草山の求道者の道標としました。
ここに草山派とよばれる独特な一門の流れが生じ、後に「草山教学」と呼称される教風が起こりました。
同年、瑞光寺のそばに養寿庵を設け、母をここに住まわして孝養を尽しました。
元政上人の孝心は世上有名なもので、古人の句にも「元政の母のあんまやきりぎりす」とうたわれるほどです。その母妙種は寛文七年八七歳の長命をもち逝去しました。
父母共に八七歳の長寿で、孝養を尽くし、元政上人の青年時の三願はすべて成就しています。
元政上人は生涯多病であったようで、深草にあっても度々療養に出かけていたようです。
母を送った年また病を発し翌寛文八年正月末、自ら寿命を悟って帰山、一八日世寿四六歳をもって遷化しました。
遺命により称心庵の南方に葬り竹三竿をもって墓標としました。
深草うちわ
深草うちわの誕生は江戸時代前期
元政上人はたいへん親孝行で、自分の両親をこのうちわで、あおいでいであげたいという思いから考案したと伝えられています。
元政上人に頼まれて、それを実際に作ったのが、京都の岡崎でうちわ屋を営む小丸屋住井さんです。
しかしこの「深草うちわ」江戸時代には京土産を代表するヒット商品でしたが、 残念ながら時代の流れに押され明治末期には姿を消してしまいました。
そして時は流れて、平成十二年。「深草うちわ」が蘇りました。
元政の墓
元政上人の墓は境内西隅にあり,遺命により塔を建てず封土の上に元政が好んだ竹を三本立てただけの簡素なものです。
毎年3月18日に元政忌が行われ遺品が公開されます。
この石標は元政の旧跡瑞光寺を示すものです。
ペット霊園
ペット霊園とは、愛犬・愛猫のお骨を安置する場所。
ペット霊園
ペット霊園とは、愛犬・愛猫のお骨を安置する場所。
楽しいときもつらいときもいつも一緒だった素晴らしい思い出をくれた犬ちゃん猫ちゃん達。
安らかに眠れるよう、深い愛情と感謝の気持ちで見送ってあげたいという思いを懐いておられます皆様に、 是非ともご利用頂きますようご案内申し上げます。
動物達と飼い主さまの新たな旅立ちを皆様と共にお手伝いをさせて頂きたく思います。
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